全か無かの思考を直す | 誤った認知は子供に伝染し苦しめる
全か無か、黒か白か、あるいは○か×かの発想(ALL OR NOTHING)は自分や周囲に苦しみをもたらすします。
その理由について考えてみましょう。
全か無かの思考法をする代表は、境界性パーソナリティ障害といわれる人達です。女性の2%がそうであり、女性は男性の2~4倍だと言われます。
有名人ではダイアナ妃、尾崎豊、太宰治、ヘルマン・ヘッセ、マリリンモンロー、ウィノナ・ライダー、ブリトニー・スピアーズ達が挙げられます。
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無価値な自分が見捨てられる不安がある境界性パーソナリティ障害
彼らは自分自身は常に無価値であり、人が自分を見捨てるかどうかということに非常に敏感です。
だから、彼らがある時まで誉めちぎっていた人が、やむを得ない事情でささいな約束が果たせなくなっただけで(見捨てられたと受け取り)、手のひらを返したようにその人を罵倒するようなことがあります。
つまり、賞賛→罵倒という極端な評価の変化があるのです。理想化と脱価値化の間を極端から極端な思考に揺れ動いています。
自己評価が低い上に、他人との関係が上手く取れない事は常に苦しみをもたらし、境界性人格障害の人の自殺率が高い理由がそこにあります。
携帯電話の普及が境界性人格障害を増加させている
うつ病や境界性人格障害(ボーダーと呼ばれます)は増加しているといわれています。携帯電話の普及が境界性人格障害の増加に関係しているようです。
曖昧な状況のまま生きていくのが現実世界ですから、「曖昧さ」に耐える能力を鍛えるには、曖昧さの中にいることがもっとも良い環境なのです。
全か無かの極端な思考しかできない彼らは、曖昧な状況に耐えられません。でも携帯電話があれば、すぐに相手に連絡がとれて決着できるわけです。
その結果ますます人間関係は破たんしていきます。
私たちも知らずと全か無かの思考法に陥りがちです。
全か無かの思考を極端にする例を話しましたが、私たちでも次のような考え方に日常良く出くわしませんか。あなたも振り返って思い当たることはないでしょうか。
私達が行っている全か無かあるいは黒か白かの発想、あるいは○×思考の例をあげてみます。
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- こんな簡単な仕事できないなんて駄目な奴だ
- 国立大学に入れないなら、三流私立に入っても価値はない
- 明るくない根暗な人は駄目だ
- 何度言って聞かせても、勉強しようとしないうちの子は駄目な子だ
- この年で結婚していないあの娘は負け組だ
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こんな考え方世の中にゴロゴロしてますね。
いずれも「~でないと駄目だ、価値はない」という発想です。
でも本当でしょうか。
この世の中は光があれば影があるように反対のことがペアで成り立っています。
実際には何事も反対の性質が一対で成り立っています。
光があれば影がある。
陽と陰。少し考えれば気づくことですね。
だったら、人間だって同様だと思いますよ。
成績が悪くてもスポーツは得意。
勉強はできても、人には優しくない。
勉強はできないが、人には優しい。
マイナス面があればプラス面があるのが事実です。
プラス面もマイナス面も事実のままに評価してこそ正しい認知に至ります。
- 仕事の要領は悪いけど、真面目にコツコツ努力はするね
- 私立の三流大学に入ったけれど、本人は人望があるし勉強する気はあるから良いよね
- 明るくないけれど、真面目で約束は守るし噂話はしないので信用できるね
- 結婚してないけれど、人間には色々な生き方があるからね
どうでしょうか。このように認知することもできるはずです。
全か無かの思考よりもずっと事実を公平に判断していますね。
マイナスとプラスの両面を評価してこそ正しい認知と言えます。
繰り返しになりますが・・。
物事はマイナス面とプラス面と両方あってこそ初めて存在することができます。
影を生じない光はありません。
そしてもっと重要な事は、今はマイナスだと思っている事が本当はマイナスでは無いのかもしれないということです。
だから決めつけない態度を常に持っておきたいですね。
三年寝太郎という昔話は、怠け者のように思っていた若者が、実は時が来たら村の大恩人になる働きをしたという話です。
時が熟すまで時間がかかる。性急にその人を判断することの誤りを教えてくれる昔話です。
現代社会の価値観に左右される思考の偏り
私たちの思考は、現代社会が何に価値をおいているかに影響されがちです。
自分自身で考えて、自分なりの価値観を持っている人の方が少ないのではないでしょうか。
社会的な成功や経済的な成功が現代社会の価値観になっていれば、私たちはその価値観に影響されています。
でも一方で価値観の多様性を認めようとも言われていますね。
事実を事実として認知し、全か無かという思考から下した他人の判断にまどわされないこと、自分自身に価値が無いなどと判断しないことが大事ではないでしょうか?
勝ち組負け組みという考え方の落とし穴
勝ち組と負け組という人間の価値を2つに分けるという発想は、「お金がある」一部の勝ち組みと、負け組みの貧乏人がいる。経済状態がその人間の価値であるかのような錯覚です。
世間的に良い大学に入れた人は勝ち組で、そのことだけで大きな価値を手に入れた。世間的にたいしたことない大学に入ったひとは負け組、価値なしと判断する。
こういった価値観が日本全体を覆っていて、その矛盾に気づかず空気のように私達を取り巻いています。
その価値観の中で、今の子供の無気力さ・競争心の無さを嘆いても事態は良くなりません。
子供が「勝ち組」になれず、「負け組み」になってしまうかもしれないという偏った親の焦りから出るものだからです。
焦りは焦りとして持っていたとしても間違いではありませんが、一方でわが子の良さもしっかりと認知しているかどうか、もう一度自分の胸にきいてみましょう。
まずは親が大人が、自分たち自身の考え方の歪みに気づかない限り、子供たちに全か無かの思考は伝染していくのです。
実際には良い大学に行ってなくても、勉強ができなくても人間としては立派な人は沢山います。
逆に日本一と言われる大学を出た人達が官僚となり、多くの国民に迷惑をかける失敗や悲劇を引き起こしておきながら無責任な人もいます。
バランスのとれた価値観(お金、世間体、社会的成功、心、体、自分、周囲の人、世の中の人全体それぞれ大事、)には、バランス感覚が重要だし、もっと違う価値観もあるだろうという意識を持つことが重要です。
事実は事実として認知するが、それに価値があるかないか直ぐには決めつけない。
とりあえずは決め付けないでおくことができず、すぐに極端な判断を下すのが 全か無かの思考法です。自分に全か無かの発想をする傾向があることに気づくことが重要です。
うつ病になる人は自分を「私はOKではない」という人生に対する基本的態度があります。極端なマイナス思考をする癖があるんですね。
全か無かの思考が頭をもたげたら、「待てよ」と立ち止まり、全てが間違っている、全てが駄目だというのは極端な考えだ、プラスの面は何だろうと考えてみる習慣をつけましょう。
「~ができないから駄目だではなく、~できないが、○○は良いところだ、という風に。」良い面も悪い面も必ず両方あるという前提で学習をしてこそ成長していくものです。
ポジティブ思考も極端すぎると思わぬ失敗を引き起こします。
反対に、何でもかんでもポジティブというのは、○だけの思考法です。
プラスがあればマイナスもあるのが現実です。プラスもあればマイナスもあるというと、優柔不断だと言われるかもしれませんが、世の中割り切れないことの方がが多いのです。
マイナス思考にもプラス思考にも偏らない発想のできることが人間として自由な状態です。
テクノ時代と全か無かの思考との関係
私たちも手紙でしか連絡手段がなかった時には、手紙を書く間に自分の考えの誤りに気付くことができました。
しかし今は携帯電話、メールなど深く考えずに反射的に相手に偏った考えで伝達していないでしょうか。
ハイテクの発達とコミュニケーション能力の低下は深い関係があります。
今やゲームをやらない子供は珍しいぐらいですが、ゲームこそ○か×かの発想からできています。
ゲーム内の人間を殺したり生かしたり自由自在にできるのがゲームですから、子供の頃からはまりすぎるのは問題でしょう。
自動販売機の発達は買い物をするのにコミュニケーションが必要ない場面を多くしていますし、ハイテクとはそういう性質のものです。
私たちを取り巻く環境は便利でスピーディになりました。でも私たちの方の変化が追い付いていかないので、物事の全体をゆっくりと理解しようとする事自体が難しくなっています。
インターネットで自分の思考を作り上げていく方法とは
そうはいっても、便利なインターネットを上手く利用する方法はあります。
それはブログを書くことです。ブログで自分の考えを書き、それを吟味していく。
その場合、沢山の人に訪問してもらう事を狙わないということが大事です。
少数であっても、きちんとコメントを書いてくれる人と、本音で対話していく。
訪問者のためになる事を書くという視点は大事なことですが、そのためにプラス面だけを書くのはどうでしょう?それこそ偏ってしまいますよね。
偏らない考え方をするためには、常にプラスとマイナスの両面を常に発信する習慣をつけたいものです。
本音で話すとは言っても、絶対にけんか腰の反論だけは避けましょう。あなたの全か無かの思考法が前面に出てしまいます。
本当に困った人たち(アラシなど)は無視するのが一番です。
まとめ
自分の考えが全か無かの思考に偏っていないか、物事をプラス面もマイナス面 も正確に見る訓練をするには第三者を意識したブログは有効です。